11日午後から江田島に移動。広島県江田島市江田島町にある海上自衛隊を視察。第1術科学校・幹部候補生学校・大講堂・教育参考館等を其々見学しました。

「海軍兵学校」は明治21年に東京築地から江田島に移転。それ以来江田島はアメリカのアナポリス、イギリスのダートマスとともに世界3大兵学校の所在地としてその名が広く世界に知られることとなりました。

「海軍兵学校」は終戦により昭和20年57年の幕を閉じました。以後10年間は連合軍が各施設を使用。昭和31年に返還され、当時横須賀にあった術科学校が江田島に移転。その後昭和32年に「幹部候補生学校」が独立開校し、昭和33年に術科学校は「第1術科学校」に名称を変更し、現在に至っています。

また構内にある教育参考館には、旧海軍関係の資料など約1,000点が展示されており、神風特攻隊員たちの遺書や遺品には強く胸をうたれます。

現在、広報の一環として校内見学を実施しており、延べ見学者数は、450万人(平成21年末現在)を数え、年間約7万人が来訪される江田島を代表する見学場所でもあります。

【第1術科学校】

第1術科学校は、砲術、水雷、船務、通信、航海、気象、掃海、機雷、運用、応急及び潜水等の配置で勤務する隊員に対して専門教育を行っています。年間、幹部学生約600名、海曹士学生約2000名が江田島を巣立っていきます。

【幹部候補生学校】

幹部候補生学校は、海上自衛隊の初級幹部自衛官として勤務するのに必要な知識と技能を取得させるための教育を行っています。
年間500名の一般幹部候補生、幹部予定者、飛行幹部候補生等が教育を受け、3等海尉(一部2等海尉)に任官して巣立っていきます。

【大講堂】

鉄骨煉瓦石造の大講堂は大正6年(1917年)に兵学校生徒の入校式、卒業式また精神教育の場として建築されました。外壁には瀬戸内海産の花崗岩を使い、内部はほぼ吹抜けとなっており、約2000名の収容能力があります。90年以上経った今日も、変わらぬ姿で、建っております。

現在は幹部候補生、第1術科学校の学生等の入校式、卒業式等儀式に使用しております。

【幹部候補生学校庁舎(旧海軍兵学校生徒館:通称赤レンガ)】

通称「赤レンガ」と呼ばれ全国的に有名な、幹部候補生学校庁舎は、日清戦争の前年、明治26年(1893)に海軍兵学校生徒館としてその生活、教育のため建築されました。

設計は、東京築地にあった兵学校生徒館も手がけたイギリス人建築家によるものであります。屋根は建築当初は日本瓦葺でしたが、明治38年の安芸灘地震後にスレート葺とされました。
 

【教育参考館】

教育参考館は、先人の遺徳をしのぶ場所として、昭和11年に海軍士官や財界等からの寄付金によって建てられました。戦後、海上自衛隊の心の教育をする場所として復活したもので、海軍の資料に関する貴重な資料を約1000点展示しています。