「とにかく困っている人の現場に行く」。現場直結主義を貫く山本の政治信条だ。

制度のはざまに政治の光を

29年間勤務した日本アイ・ビー・エム(株)では、抜群の営業実績をたたき出した。障がいのある長女を介護・育児した経験から、「制度のはざまで苦しんでいる人、社会的弱者にこそ政治の光を当てたい」と、政界への転身を決意し、11年半前に初当選。

障がい者を支える法整備の充実をライフワークに取り組み、障害者虐待防止法などの成立に尽力。また、就労施設からの製品購入を国や独立行政法人に促す「障害者優先調達推進法」は、自立支援への道を大きく切り開く画期的な法律。障がい者の子を持つ親から特に喜ばれ「長年の悲願が実現した」と関係者の評価も高い。

国民目線に立って即行動

一方、弱者に光を注ぐ政治姿勢は地域にも。離島振興法改正の議論の中で「生活する島民の声を法律に盛り込みたい」と、全国101の島々を訪ね、介護や医療の課題を調査。ソフト事業に活用できる交付金創設を盛り込ませた。また介護保険サービスを受けられない全国185島の対策を予算委員会で追及。特例地域の対象拡大で、人口が少ない離島でのサービス提供が可能になった。

「人間主義」が輝く社会へ

引きこもりや難病対策、地方裁量型認定こども園への支援、再生医療の推進にも奮闘。いじめや生活困窮者など社会の混迷がもたらす問題を真正面に見据える山本は、「今こそ、人間主義が輝く支え合いの社会構築を」と誓う。

制度のはざまに政治の光を

障がい者を支える法整備の充実をライフワークに取り組み、障害者虐待防止法などの成立に尽力。また、就労施設からの製品購入を国や独立行政法人に促す「障害者優先調達推進法」は、自立支援への道を大きく切り開く画期的な法律。障がい者の子を持つ親から特に喜ばれ「長年の悲願が実現した」と関係者の評価も高い。

国民目線に立って即行動

一方、弱者に光を注ぐ政治姿勢は地域にも。離島振興法改正の議論の中で「生活する島民の声を法律に盛り込みたい」と、全国101の島々を訪ね、介護や医療の課題を調査。ソフト事業に活用できる交付金創設を盛り込ませた。また介護保険サービスを受けられない全国185島の対策を予算委員会で追及。特例地域の対象拡大で、人口が少ない離島でのサービス提供が可能になった。

「人間主義」が輝く社会へ

引きこもりや難病対策、地方裁量型認定こども園への支援、再生医療の推進にも奮闘。いじめや生活困窮者など社会の混迷がもたらす問題を真正面に見据える山本は、「今こそ、人間主義が輝く支え合いの社会構築を」と誓う。

プロフィール

昭和29年愛媛県八幡浜市生まれ
昭和48年愛媛県立八幡浜高等学校卒業
昭和52年慶應義塾大学法学部卒業
昭和52年日本アイ・ビー・エム株式会社入社
平成19年約29年間勤めたIBMを退社
平成19年第21回参議院議員選挙(比例区)初当選
平成23年参議院消費者問題に関する特別委員会委員長
平成25年第23回参議院議員選挙(比例区)2期目当選
平成25年財務大臣政務官
平成28年参議院総務常任委員会委員長
平成29年公明党参議院国会対策委員長
平成30年公明党中央規律委員長
平成30年参議院災害対策特別委員会委員長
令和元年第25回参議院議員選挙(比例区)3期目当選
令和2年厚生労働副大臣
令和3年内閣府副大臣(新型コロナワクチン接種推進担当)
令和3年公明党参議院国会対策委員長

自己紹介

身長172cm
体重73kg
家族香川・善通寺市出身の妻と二男一女の5人家族
趣味卓球、囲碁、スポーツ観戦、映画鑑賞
座右の銘「心こそ大切なれ」
感銘を受けた書籍「坂の上の雲」 「母よ 嘆くなかれ」

誕生~少年時代・学生時代

少年時代

山本ひろしは、1954年(昭和29年)12月9日、愛媛県八幡浜市で生まれました。

八幡浜市立松蔭小学校、同八代中学校を経て、愛媛県立八幡浜高校に入学。中学・高校と卓球に汗を流し、高校ではチームとして四国大会ベスト8に入りました。

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高校を卒業後、慶應義塾大学に入学した山本ひろしは、そこで自分の可能性をどこまでも信じ抜いてくれる友人や恩師と出会い、それが彼にとって人生の大きな転機となりました。

社会人として - 地域のために働く人、結果を出すリーダー

大学を卒業後、日本アイ・ビー・エム(株)に入社し、29年間、顧客獲得競争が激しいコンピューター業界大手の営業マンとして、企業や法人など顧客のニーズと視点に立った商品システムを提案。

人並みはずれた集中力と執念で、年間売り上げ目標を12回達成。昨年は、社内部門のMVPに輝くなど、どんな状況でも結果を出す抜群の“決着力”を持つリーダーとして活躍。

情報化社会を担う新しい人材の育成を担当し、独自の研修コースを開発。「一人ひとりの個性や長所を見つけ、可能性を引き出し、伸ばす」ことを心掛け、全国で約1500人を一流の営業マン、システムエンジニアに育て上げました。

また東京に住んでいた時には、約15年間、町内会の活動に積極的に参加。交通部長、副会長として防火・防犯パトロールを行い、地域のために尽力。

また、若者の就職活動を支援する特定非営利法人「NPO人材アカデミー」の理事を務め、シンポジウムや講習会を開催するなど、若者の就職を応援し続けています。

父親として - 野に咲く花のように

2歳になった時、山本の長女は睡眠障害などを伴う重度の知的障害と分かりました。

妻と2人で「野に咲く花のように」(ダ・カーポ)を口ずさみながら、懸命に介護・子育てに奮闘。多忙な合間を縫い、ひとりの父親として、障害者団体主催の訓練や行事に長女を連れて積極的に参加。

「娘を通して、いろんな世界を見ることができ、謙虚さを学びました。平凡なことに幸せを感じ、感謝の思いがこみ上げてきました」。

こうした苦闘の経験が、政治を志す彼の大きな原点となっています。たとえば、町内会の活動や、高齢者の生き生きとした老後のための囲碁サロンなど、「人のぬくもりがあふれる社会づくり」の原動力になっています。

「国民に尽くすことが政治本来の使命。悩める庶民の側に立った優しさこそ政治に必要」と、社会的弱者に温かい手を差し伸べる福祉のネットワークづくり、子育て支援策の拡充に意欲を燃やしています。