参議院議員 山本博司
ごあいさつ
【「理解・共感得る論戦を」通常国会開幕 公明両院議員総会「予算、年度内成立めざす」】 第217通常国会が1月24日、召集されました。会期は6月22日までの150日間。公明党は国会内で衆参両院議員総会を開催。 斉藤代表は激動する国際情勢に触れ、「各国で分断と対立が深まる中、少数与党とはいえ、日本が議会制民主主義の範を示せるように成果を出していきたい」と力説。 その上で、「まずは2025年度予算案の年度内成立をめざす。国民の理解と共感を得られる論戦を展開しよう」と訴えました。 具体的に25年度予算について「賃上げ、中小企業支援や防災・減災対策等が盛り込まれている」と述べ、早期成立に万全を期すと強調。 また幅広い合意を得ていくため野党と「年収の壁」や教育無償化などについて協議を進めていく考えを表明。 所得税が課され始める年収「103万円の壁」では「引上げの根拠となる数字をどう示すか。また財源を明確にし、将来に責任を持った議論が出来るかがポイント」だと語りました。 政治改革では、昨年の臨時国会での成果をベースに「政治資金をチェックする第3者機関『政治資金監視委員会』や旧文通費の使途公開に向けた制度設計を進める」と力説。 企業・団体献金については「専門家の意見を聴きながら丁寧で落ち着いた議論をして国民に納得してもらえる結論を出したい」と述べました。 選択的夫婦別姓制度の導入では「社会の根幹に関ることであるので、与党で成案もって、野党と議論することが筋だ。公明案を固め、与党協議に臨む」と強調。 後日開催された石破首相施政方針演説等に対する代表質問においても、公明党斉藤代表・竹谷代表代行から様々な論点からの質問が行われました。 少数与党の公明党として、今後の国会においても、国民目線に沿って合意形成をリードしながら、丁寧に着地点を見出してまいります。 斉藤代表先頭に、私も国民の皆様の理解と共感が得られる論戦を展開してまいります。 令和7年2月1日 参議院議員 山本博司 |
手記 ーひびきー のご紹介
こちらの手記-ひびき-は、私が参議院議員に当選したばかりの当時(2007年)、障害者支援団体の皆様が発刊されている雑誌に掲載を頂きました。 いつまでも政治家としての原点を忘れずに、これからも国政活動を続けて参ります。 こちらの文面を以下のテキストに書き起こしましたので、是非ごらんください。
平凡なことが辛せ ~障害の娘が教えてくれた使命の人生~
障害の娘との壮絶な介護の日々
私は今、政治家(参議院議員)です。障害の娘(潤子)がいたからこそ、この世界に入ることになりました。知的障害の娘のおかげで、今の自分があります。
長女の障害が分かったのは2歳の時でした。どうも普通の子と違い、言葉も遅いし、ハイハイも遅いので、医者に診てもらうと「重度の知的障害です。脳障害です。一生直りません」との宣告を受けました。大変ショックでした。涙がとめどもなくあふれ、断崖から突き落とされたような絶望感が襲いました。
それから夫婦で壮絶な介護、子育てが始まりました。多動で睡眠障害の自閉症の娘を連れ、リハビリなどに通いました。外出の際も手を握っておかないと、車道に飛びこみます。いっときも目が離せません。
当時、私はコンピューター会社(日本IBM) の営業の主任・課長の時でした。妻はまだ小さな長男と次男の面倒を朝から夜までずっと1人で見ていましたので、これ以上続けると倒れてしまいます。それで私は会社から帰ってから、朝方まで睡眠障害の娘の面倒を見ました。寝ないで会社に行ったことも何度もありました
温かな善意ある人たちとの交流
そんな大変な中、同じ障害のある子どもをもつ親の会の「たまごの会」や「手をつなぐ親の会」の方たちとの出会いがありました。
どのお母さまたちも明るく前向きで、元気な姿にびっくりしました。同じように大変な障害をもちながらがんばられている皆さまに触れ、勇気をいただきました。
また、妻は「手をつなぐ親の会」の先輩の皆さまに相談に乗っていただきました。娘のおかげで、たくさんの友人ができました。周りの温かな善意ある方々がおられての今があると、本当に感謝しております。
重度の娘はまだ一人では何もできませんが、今年二十歳の成人式をむかえました。何もしゃべらない娘から、私たち夫婦は多くのことを学びました。
―つは「平凡なことが幸せ」との実感でした。最初、食事も手づかみでしか食べられなかった娘が、薄紙をはがすように、訓練で自分一人で食事ができたときの喜び。当たり前のことが、平凡なことが本当に幸せだなと感じます。
昔は多動な子でしたので、迷惑をかけるため、家族でファミリーレストランさえ何年もいけませんでした。先日も潤子と妻の3人でレストランで食事ができた時、「本当に幸せだなあ」と実感しました。
「当たり前のことが幸せだと感じられる感性」を娘から学びました。
二つ目は「自分を低くすること」を教えてくれました。ノーベル文学賞を受賞したパール・バック女史は障害の娘さんから「自分を低くすること」を学んだといいます。私も傲慢な自分の殻を一つ一つ、障害の娘を通じて、破ってもらったように思います。謙虚さ、感謝の心が大切なことだと教えられました。
政治の道・使命の道へ
一昨年、公明党から推薦を受け、29年勤めた日本IBMを辞めて参議院選挙に立候補し、当選させていただきました。立候補を決意したのは、20年近く障害者の皆さまとの交流を通じて、法の狭間でご苦労されている方々を見て、政治の光の当たらない方がいかに多いかを痛感していたからです。少しでも貢献できないかとの思いでした。
今、希望していた厚生労働委員会に所属しています。障害者の方の就労支援の充実など通算7回の質問を通じて、少しでも多くの課題の改善をと取り組んでいます。また全国150カ所の障害者施設や作業所などを回りました。「手をつなぐ親の会」の皆さまとも懇談させていただき、多くの課題や要望をお聞きしました。
「障害者自立支援法の抜本的見直しの与党プロジェクトチーム(PT)」の一員としても、親亡き後の本当に心配のない社会(ユニバーサル社会)を目指して、障害者施策の充実を進めたいと思います。
振り返ると、潤子を軸にわが家は回ってきました。泣き、笑いの中にいつも太陽の娘がいます。笑頻満載の娘から、勇気のエネルギーをもらいました。
また、愚痴を言わず、介護し抜いた明るい妻にも頭が上がりません。長男・次男も私のいない時に妻を支え、娘の面倒を見てきました。
私自身、娘がいなければこの職業に就くこともなかったと思います。これからも障害をもった方々とそのご家族の側に立ち、誠実にがんばってまいります。