参議院議員 山本博司

ごあいさつ

【がんなど病気であったとしても働き、活躍できる社会めざして】 ~がんなどの治療と仕事 両立へ~
 がん患者の3人に1人は働く世代(20~65歳)で、仕事をもちながら通院している人は約50万人といわれています。(2022年調査)
 またがんと診断されて退職・廃業した人は就労者の約2割(19.4%)。うち治療前に離職した人は58.3%。
 公明党が推進したがん対策基本法により、第4期のがん対策推進計画に「がんとの共生」が明記され、相談支援・就労支援の施策が入っています。
 がんなどの治療と仕事の両立支援や再就職支援のため、四国がんセンター、香川大学医学部付属病院・徳島大学病院などのがん診療連携拠点病院や愛媛県労働局、ハローワーク徳島、さんぽセンター(香川・愛媛)など就労支援の現場を視察。来夏の参院選予定候補の原田大二郎さんも同行されました。
 拠点病院には「がん相談支援センター」が設置され、がんの予防や治療、共生に関する情報提供や相談支援が行われています。
 中でも「治療と仕事の両立支援」において「両立支援コーディネーター」が大きな役割を担っていました。公明党の後押しもあり、医療機関従事者や企業の人事労務担当者ら現在2万3千人以上が養成されています。
 また治療を受けながら就職を希望する長期療養者の方々(がん・肝炎・糖尿病など)にも、ハローワーク出張相談として、拠点病院内で相談に乗り、寄り添いながらの支援をされています。令和5年度の長期療養者就職支援事業は就職率63.2%。(5126人)と年々増えています。
 しかしこうした事業が中小企業など知られておらず、企業の理解・啓発が必要です。
 また予算の拡充や地域間格差の是正、社会で支える環境整備など課題も多いです。
 どのような病気であったとしても働く事が出来、社会で活躍できる共生社会を目指してまいります。


令和6年12月1日 参議院議員 山本博司

手記 ーひびきー のご紹介

こちらの手記-ひびき-は、私が参議院議員に当選したばかりの当時(2007年)、障害者支援団体の皆様が発刊されている雑誌に掲載を頂きました。 いつまでも政治家としての原点を忘れずに、これからも国政活動を続けて参ります。 こちらの文面を以下のテキストに書き起こしましたので、是非ごらんください。

平凡なことが辛せ ~障害の娘が教えてくれた使命の人生~

障害の娘との壮絶な介護の日々
私は今、政治家(参議院議員)です。障害の娘(潤子)がいたからこそ、この世界に入ることになりました。知的障害の娘のおかげで、今の自分があります。
長女の障害が分かったのは2歳の時でした。どうも普通の子と違い、言葉も遅いし、ハイハイも遅いので、医者に診てもらうと「重度の知的障害です。脳障害です。一生直りません」との宣告を受けました。大変ショックでした。涙がとめどもなくあふれ、断崖から突き落とされたような絶望感が襲いました。
それから夫婦で壮絶な介護、子育てが始まりました。多動で睡眠障害の自閉症の娘を連れ、リハビリなどに通いました。外出の際も手を握っておかないと、車道に飛びこみます。いっときも目が離せません。
当時、私はコンピューター会社(日本IBM) の営業の主任・課長の時でした。妻はまだ小さな長男と次男の面倒を朝から夜までずっと1人で見ていましたので、これ以上続けると倒れてしまいます。それで私は会社から帰ってから、朝方まで睡眠障害の娘の面倒を見ました。寝ないで会社に行ったことも何度もありました

温かな善意ある人たちとの交流
そんな大変な中、同じ障害のある子どもをもつ親の会の「たまごの会」や「手をつなぐ親の会」の方たちとの出会いがありました。
どのお母さまたちも明るく前向きで、元気な姿にびっくりしました。同じように大変な障害をもちながらがんばられている皆さまに触れ、勇気をいただきました。
また、妻は「手をつなぐ親の会」の先輩の皆さまに相談に乗っていただきました。娘のおかげで、たくさんの友人ができました。周りの温かな善意ある方々がおられての今があると、本当に感謝しております。
重度の娘はまだ一人では何もできませんが、今年二十歳の成人式をむかえました。何もしゃべらない娘から、私たち夫婦は多くのことを学びました。
―つは「平凡なことが幸せ」との実感でした。最初、食事も手づかみでしか食べられなかった娘が、薄紙をはがすように、訓練で自分一人で食事ができたときの喜び。当たり前のことが、平凡なことが本当に幸せだなと感じます。
昔は多動な子でしたので、迷惑をかけるため、家族でファミリーレストランさえ何年もいけませんでした。先日も潤子と妻の3人でレストランで食事ができた時、「本当に幸せだなあ」と実感しました。
「当たり前のことが幸せだと感じられる感性」を娘から学びました。
二つ目は「自分を低くすること」を教えてくれました。ノーベル文学賞を受賞したパール・バック女史は障害の娘さんから「自分を低くすること」を学んだといいます。私も傲慢な自分の殻を一つ一つ、障害の娘を通じて、破ってもらったように思います。謙虚さ、感謝の心が大切なことだと教えられました。

政治の道・使命の道へ
一昨年、公明党から推薦を受け、29年勤めた日本IBMを辞めて参議院選挙に立候補し、当選させていただきました。立候補を決意したのは、20年近く障害者の皆さまとの交流を通じて、法の狭間でご苦労されている方々を見て、政治の光の当たらない方がいかに多いかを痛感していたからです。少しでも貢献できないかとの思いでした。
今、希望していた厚生労働委員会に所属しています。障害者の方の就労支援の充実など通算7回の質問を通じて、少しでも多くの課題の改善をと取り組んでいます。また全国150カ所の障害者施設や作業所などを回りました。「手をつなぐ親の会」の皆さまとも懇談させていただき、多くの課題や要望をお聞きしました。
「障害者自立支援法の抜本的見直しの与党プロジェクトチーム(PT)」の一員としても、親亡き後の本当に心配のない社会(ユニバーサル社会)を目指して、障害者施策の充実を進めたいと思います。
振り返ると、潤子を軸にわが家は回ってきました。泣き、笑いの中にいつも太陽の娘がいます。笑頻満載の娘から、勇気のエネルギーをもらいました。
また、愚痴を言わず、介護し抜いた明るい妻にも頭が上がりません。長男・次男も私のいない時に妻を支え、娘の面倒を見てきました。
私自身、娘がいなければこの職業に就くこともなかったと思います。これからも障害をもった方々とそのご家族の側に立ち、誠実にがんばってまいります。