参議院議員 山本博司
ごあいさつ
【結党60周年の本年・鍛えの夏、悔いない活動を展開】 公明党は本年11月17日に結党60年を迎えます。この夏開催された四国・中国の夏季議員研修会でも結党の原点と立党精神を学びました。 公明党の山口那津男代表は「公明党が連立政権にいることで政権が安定し、重要な政策が実行できる」「大衆の声を聞き、政策にして実行できる公明党の特長を生かしていく」と訴えられました。 公明党の特色である(1)「大衆とともに」の立党精神(2)ネットワークの力(3)生命・生活・生存を最大に尊重する中道主義(人間主義)――の3点について、代表の発言から紹介します。 (1)脈打つ立党の精神 国民の声を政治に届け政策に反映 公明党は1964年の結党後、半世紀以上にわたり「大衆とともに」の立党精神を堅持してきました。 「公明党には『大衆とともに』の立党精神が脈々と議員一人一人に受け継がれ、今も生きています。この『大衆直結』の姿勢は、今後も変わることはありません」。 また「公明党は政権の中でも、『大衆とともに』の立党精神に基づき、国民の声を聞き、政治に届けるという持ち味を生かしています」と述べているように、公明党は国民の声を政策に練り上げ、実現する取り組みに全力を挙げてきました。 (2)ネットワークの力 国と地方の議員、党員が緻密に連携、要望を実現 公明党の強みは国会議員と地方議員、そして党員による「ネットワークの力」を生かした政策実現力にあります。 地域住民から「心配事や悩み事、希望を聞いた上で、その実現に向け合意、政策を生み出し、実行していくネットワークの力が公明党の真骨頂だ」また「政策実現の要は地方議員と国会議員のネットワークの力だ」などと重ねて強調しています。 その一例として一昨年7月の参院選で「帯状疱疹ワクチンの定期接種化をめざす」と公約。昨年4月の統一地方選でも「公費助成を全国(自治体)で進め、ゆくゆくは国の定期接種のような位置付けで無料で受けられるようネットワークの力を生かしたい」と訴えました。例えば東京都は、都議会公明党の提案を受け、昨年度から区市町村に対し、接種費助成にかかる予算の半分を補助。 その結果、今では都内62区市町村の98.4%で助成を実施。さらに厚生労働省の専門委員会が6月20日、定期接種化は差し支えないと判断。今後、開始時期などを議論し、最終判断します。 政策実現がくっきりと見えてきました。 「国と地方が連携し、現場の声を予算や法律に反映させ、その後も改善していく『政策のサイクル』を実現しているのが公明党のネットワークの力だ」また、山口代表は政党の役割という視点からも、「民主主義社会においては、国民の声、現場の声を的確につかみ政治に反映していくことが本来の政党のあり方だ。公明党は、地域に根差した全国の地方議員と国会議員の緻密な連携でこれを推進する」と力説しています。 (3)中道主義の理念 生命・生活・生存を尊重し平和、福祉など多くの実績 公明党は、生命・生活・生存を最大に尊重する中道主義(人間主義)を政治理念として、党綱領に掲げています。 この点について山口代表は、「政策分野でも多大な実績を積み重ねてきた(略)。公明党が平和、福祉、教育、環境の党と言われるのも、この理念を掲げているからだ。 結党以来、貫いてきた、このアイデンティティー、役割は、今後もいささかも揺らぐことはない」などと強調。 私も議員になってから3期17年間。一貫して「どこまでも人間主義」を掲げて、活動してまいりました。 これからも公明党の議員として、全力で国民の皆様に寄り添い、施策を進めてまいります。 令和6年9月1日 参議院議員 山本博司 |
手記 ーひびきー のご紹介
こちらの手記-ひびき-は、私が参議院議員に当選したばかりの当時(2007年)、障害者支援団体の皆様が発刊されている雑誌に掲載を頂きました。 いつまでも政治家としての原点を忘れずに、これからも国政活動を続けて参ります。 こちらの文面を以下のテキストに書き起こしましたので、是非ごらんください。
平凡なことが辛せ ~障害の娘が教えてくれた使命の人生~
障害の娘との壮絶な介護の日々
私は今、政治家(参議院議員)です。障害の娘(潤子)がいたからこそ、この世界に入ることになりました。知的障害の娘のおかげで、今の自分があります。
長女の障害が分かったのは2歳の時でした。どうも普通の子と違い、言葉も遅いし、ハイハイも遅いので、医者に診てもらうと「重度の知的障害です。脳障害です。一生直りません」との宣告を受けました。大変ショックでした。涙がとめどもなくあふれ、断崖から突き落とされたような絶望感が襲いました。
それから夫婦で壮絶な介護、子育てが始まりました。多動で睡眠障害の自閉症の娘を連れ、リハビリなどに通いました。外出の際も手を握っておかないと、車道に飛びこみます。いっときも目が離せません。
当時、私はコンピューター会社(日本IBM) の営業の主任・課長の時でした。妻はまだ小さな長男と次男の面倒を朝から夜までずっと1人で見ていましたので、これ以上続けると倒れてしまいます。それで私は会社から帰ってから、朝方まで睡眠障害の娘の面倒を見ました。寝ないで会社に行ったことも何度もありました
温かな善意ある人たちとの交流
そんな大変な中、同じ障害のある子どもをもつ親の会の「たまごの会」や「手をつなぐ親の会」の方たちとの出会いがありました。
どのお母さまたちも明るく前向きで、元気な姿にびっくりしました。同じように大変な障害をもちながらがんばられている皆さまに触れ、勇気をいただきました。
また、妻は「手をつなぐ親の会」の先輩の皆さまに相談に乗っていただきました。娘のおかげで、たくさんの友人ができました。周りの温かな善意ある方々がおられての今があると、本当に感謝しております。
重度の娘はまだ一人では何もできませんが、今年二十歳の成人式をむかえました。何もしゃべらない娘から、私たち夫婦は多くのことを学びました。
―つは「平凡なことが幸せ」との実感でした。最初、食事も手づかみでしか食べられなかった娘が、薄紙をはがすように、訓練で自分一人で食事ができたときの喜び。当たり前のことが、平凡なことが本当に幸せだなと感じます。
昔は多動な子でしたので、迷惑をかけるため、家族でファミリーレストランさえ何年もいけませんでした。先日も潤子と妻の3人でレストランで食事ができた時、「本当に幸せだなあ」と実感しました。
「当たり前のことが幸せだと感じられる感性」を娘から学びました。
二つ目は「自分を低くすること」を教えてくれました。ノーベル文学賞を受賞したパール・バック女史は障害の娘さんから「自分を低くすること」を学んだといいます。私も傲慢な自分の殻を一つ一つ、障害の娘を通じて、破ってもらったように思います。謙虚さ、感謝の心が大切なことだと教えられました。
政治の道・使命の道へ
一昨年、公明党から推薦を受け、29年勤めた日本IBMを辞めて参議院選挙に立候補し、当選させていただきました。立候補を決意したのは、20年近く障害者の皆さまとの交流を通じて、法の狭間でご苦労されている方々を見て、政治の光の当たらない方がいかに多いかを痛感していたからです。少しでも貢献できないかとの思いでした。
今、希望していた厚生労働委員会に所属しています。障害者の方の就労支援の充実など通算7回の質問を通じて、少しでも多くの課題の改善をと取り組んでいます。また全国150カ所の障害者施設や作業所などを回りました。「手をつなぐ親の会」の皆さまとも懇談させていただき、多くの課題や要望をお聞きしました。
「障害者自立支援法の抜本的見直しの与党プロジェクトチーム(PT)」の一員としても、親亡き後の本当に心配のない社会(ユニバーサル社会)を目指して、障害者施策の充実を進めたいと思います。
振り返ると、潤子を軸にわが家は回ってきました。泣き、笑いの中にいつも太陽の娘がいます。笑頻満載の娘から、勇気のエネルギーをもらいました。
また、愚痴を言わず、介護し抜いた明るい妻にも頭が上がりません。長男・次男も私のいない時に妻を支え、娘の面倒を見てきました。
私自身、娘がいなければこの職業に就くこともなかったと思います。これからも障害をもった方々とそのご家族の側に立ち、誠実にがんばってまいります。