参議院議員 山本博司
ごあいさつ
【「愛媛県・今治市の山林火災 被災現場を緊急調査」原田大二郎党青年局次長(参院選比例区予定候補)らと】 3月は愛媛県今治市や西条市、岡山県岡山市や玉野市、宮崎県など各地で山林火災が発生。被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。 また、現場で懸命になって消火・救助・支援活動などにご尽力いただいた消防、警察、行政、自衛隊など全ての関係者の皆様に心より、感謝と敬意を表します。大変にありがとうございました。 3月23日発生した地元愛媛県今治市の山林火災。27日早朝より現地に入り、緊急視察。山林火災の被災状況を調査しました。 これには、党青年局次長の原田大二郎参院選比例区予定候補、愛媛県災害対策本部の木村誉対策本部長(県代表)、対策本部委員の渡辺豊今治市議が同行。 徳永しげき今治市長より市役所で山林火災の詳細なご報告をいただいた後、市職員松木局長の案内でヘリコプターからの散水による消火活動の続く長沢地区、郷桜井地区、朝倉地区、桜井地区など被災地域を回りました。 黒焦げになった山林、全焼の家々。現地の生々しい状況を目の当たりにし、胸が熱く、締めつけられる思いでした。 避難所となっている市立国分小学校と朝倉公民館を訪れ、消防団から話しを聞くとともに避難者を見舞いました。 「飛び火で家の近くまで火が迫り、生きた心地がしなかった。大変怖かった」。「ホースやバケツで必死に消火して、住宅への延焼を食い止めることができた。ぎりぎりで助かった」など等。 その中でも、消防や自衛隊などの皆様の不眠不休の懸命な消火活動により、多くの家屋がまさに紙一重で守られた事実に、大変感動しました。心から感謝申し上げます。 岡山県でも谷合正明参議院議員・平林晃衆議院議員らが同じように現地を廻りました。今回の現地訪問で、あらためて飛び火による山林火災の猛威と怖さを痛感。国・県の連携で地元自治体を応援してまいります。 山林火災の発生件数は全国で1299件(2023年)。最近5年間の年平均だと1日4件火災が発生。中でも一番多い月がこの4月(257件)。 この時期は森林内に落ち葉が積もって燃えやすい状態になっているのに加え、強風が吹きやすく、太平洋側を中心に空気が乾燥するといった自然条件が重なります。 火災発生前の対策として、出火原因の最多が「たき火」など人為的原因ともいわれており、注意喚起の強化など防災意識の向上が大事です。 一方、注意喚起だけでは限界もあることから、林野庁では、危険な「時期」と「場所」を特定して、重点的に警戒活動が出来る手法など検討しています。 また、山林火災の予防や消火活動を巡って2022年国の指針が見直され、指揮体制の明確化や地上とヘリコプターとそれぞれでの消火活動に連携強化、迅速な応援体制などが明記されました。 今回や大船渡での山林火災の教訓や気候変動を踏まえて、ハザードマップや消防戦略などの対策の検討も含め、国民生活の安心・安全の為に、全力で取り組んでまいります。 令和7年4月1日 参議院議員 山本博司 |
手記 ーひびきー のご紹介
こちらの手記-ひびき-は、私が参議院議員に当選したばかりの当時(2007年)、障害者支援団体の皆様が発刊されている雑誌に掲載を頂きました。 いつまでも政治家としての原点を忘れずに、これからも国政活動を続けて参ります。 こちらの文面を以下のテキストに書き起こしましたので、是非ごらんください。
平凡なことが辛せ ~障害の娘が教えてくれた使命の人生~
障害の娘との壮絶な介護の日々
私は今、政治家(参議院議員)です。障害の娘(潤子)がいたからこそ、この世界に入ることになりました。知的障害の娘のおかげで、今の自分があります。
長女の障害が分かったのは2歳の時でした。どうも普通の子と違い、言葉も遅いし、ハイハイも遅いので、医者に診てもらうと「重度の知的障害です。脳障害です。一生直りません」との宣告を受けました。大変ショックでした。涙がとめどもなくあふれ、断崖から突き落とされたような絶望感が襲いました。
それから夫婦で壮絶な介護、子育てが始まりました。多動で睡眠障害の自閉症の娘を連れ、リハビリなどに通いました。外出の際も手を握っておかないと、車道に飛びこみます。いっときも目が離せません。
当時、私はコンピューター会社(日本IBM) の営業の主任・課長の時でした。妻はまだ小さな長男と次男の面倒を朝から夜までずっと1人で見ていましたので、これ以上続けると倒れてしまいます。それで私は会社から帰ってから、朝方まで睡眠障害の娘の面倒を見ました。寝ないで会社に行ったことも何度もありました
温かな善意ある人たちとの交流
そんな大変な中、同じ障害のある子どもをもつ親の会の「たまごの会」や「手をつなぐ親の会」の方たちとの出会いがありました。
どのお母さまたちも明るく前向きで、元気な姿にびっくりしました。同じように大変な障害をもちながらがんばられている皆さまに触れ、勇気をいただきました。
また、妻は「手をつなぐ親の会」の先輩の皆さまに相談に乗っていただきました。娘のおかげで、たくさんの友人ができました。周りの温かな善意ある方々がおられての今があると、本当に感謝しております。
重度の娘はまだ一人では何もできませんが、今年二十歳の成人式をむかえました。何もしゃべらない娘から、私たち夫婦は多くのことを学びました。
―つは「平凡なことが幸せ」との実感でした。最初、食事も手づかみでしか食べられなかった娘が、薄紙をはがすように、訓練で自分一人で食事ができたときの喜び。当たり前のことが、平凡なことが本当に幸せだなと感じます。
昔は多動な子でしたので、迷惑をかけるため、家族でファミリーレストランさえ何年もいけませんでした。先日も潤子と妻の3人でレストランで食事ができた時、「本当に幸せだなあ」と実感しました。
「当たり前のことが幸せだと感じられる感性」を娘から学びました。
二つ目は「自分を低くすること」を教えてくれました。ノーベル文学賞を受賞したパール・バック女史は障害の娘さんから「自分を低くすること」を学んだといいます。私も傲慢な自分の殻を一つ一つ、障害の娘を通じて、破ってもらったように思います。謙虚さ、感謝の心が大切なことだと教えられました。
政治の道・使命の道へ
一昨年、公明党から推薦を受け、29年勤めた日本IBMを辞めて参議院選挙に立候補し、当選させていただきました。立候補を決意したのは、20年近く障害者の皆さまとの交流を通じて、法の狭間でご苦労されている方々を見て、政治の光の当たらない方がいかに多いかを痛感していたからです。少しでも貢献できないかとの思いでした。
今、希望していた厚生労働委員会に所属しています。障害者の方の就労支援の充実など通算7回の質問を通じて、少しでも多くの課題の改善をと取り組んでいます。また全国150カ所の障害者施設や作業所などを回りました。「手をつなぐ親の会」の皆さまとも懇談させていただき、多くの課題や要望をお聞きしました。
「障害者自立支援法の抜本的見直しの与党プロジェクトチーム(PT)」の一員としても、親亡き後の本当に心配のない社会(ユニバーサル社会)を目指して、障害者施策の充実を進めたいと思います。
振り返ると、潤子を軸にわが家は回ってきました。泣き、笑いの中にいつも太陽の娘がいます。笑頻満載の娘から、勇気のエネルギーをもらいました。
また、愚痴を言わず、介護し抜いた明るい妻にも頭が上がりません。長男・次男も私のいない時に妻を支え、娘の面倒を見てきました。
私自身、娘がいなければこの職業に就くこともなかったと思います。これからも障害をもった方々とそのご家族の側に立ち、誠実にがんばってまいります。